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障がい児学童保育から放課後等デイサービスへ


 先日私(代表理事)の自宅に1通の手紙が届きました。向日市障害児学童保育「がんばクラブ」からでした。

 「がんばクラブ」は長期休暇中の障がい児の生活を保障しようと1983年(昭和58)に障がいを持つ子どもたちのために立ち上がった私設の障がい児学童保育です。向日市には「がんばクラブ」、長岡京市には「わっしょいクラブ」、大山崎町には「ともだちの輪」と乙訓地域には3つの学童保育があり、放課後等デイサービスが制度化される約30年前から乙訓では先駆的な取り組みが行われていたのです。

 運営資金は、わずかな行政援助はあったものの、お母さんたちがTシャツや食べ物を販売したり協力金を出し合って成り立っていました。指導員は京都の大学生が中心で、決まった開設場所もなく、小学校や市民会館などを転々としていた時代もあります。

 私も実は「がんばクラブ」の元指導員。「がんばクラブ」は今の私を作ってくれた、いわば原点です。(卒論も「障がい児の長期休暇の発達保障および放課後保障」でした)

 放課後等デイサービスが充実してきた中、私設の障がい児学童保育はどうなったのか気になっていましたが、届いた手紙は来春に活動を休止するというお知らせでした。

 私設の障がい児学童保育での経験がきっかけとなり、障がい児関連の仕事に就き、紆余曲折を経て人生の最後に放課後等デイサービスという、いわば障がい児の学童保育を運営していくことになるというのは、何とも不思議な縁を感じずにいられません。

 そしてからふる乙訓の事業所が開設する年に「がんばクラブ」が休止するというのも、何か不思議なつながりを感じます。

 「がんばクラブ」の休止はさみしい限りですが、先駆的な取り組みをずっと継続してくださっていたからこそ、社会が動き、法律が整備されてきたのだと思います。

 障がい児学童保育から放課後等デイサービスへ、渡されたバトンをしっかり受け取り、子どもたちのより豊かな放課後保障や長期休暇保障に努めていきたいと思います。

 「がんばクラブ」の関係者の皆様、長い間ありがとうございました。

 お別れ会には是非参加させていただきますね。


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