最後の電話
その人からの電話はいつも唐突で思いがけない内容のことが多かった。突然「本を出すから取材に応じて」と言われて有無を言わせずインタビューされたり、大阪北部地震の時は「被害なかった?」と誰よりも早く朝一番に電話をくださったり。
ちょうど1年前の今日も春休み初日のあわただしい中、
「アルバイトさがしてない?」
と唐突な、でも降って湧いたようなありがたい内容の電話がかかってきた。
「探してます! 実は3月いっぱいで長く来てくれていた学生さんが卒業するので…」
「よかった。実はうちに来ていた高校生ボランティアの子が、いたくこの仕事を気に入ってね。春からそっちの大学に進学するんで、重症児デイを紹介してほしいって言われて、京都と言えば、神谷さんのところを思い出して。」
いやいや京都にはもっといくつも重症児デイがあるのに恐れ多い。
「じゃあ本人から電話させるから」
と嵐のような電話は切れた。
まさかその電話が最後の電話になるとは、その時は思いもよらなかった。
数日後、紹介していただいた学生さんは本当に電話をかけてきてくれて、新学期が始まると、ちょうど人手が少ない日にアルバイトに入ってくれることになった。
またからふるはこうやってありがたいご縁で救われた…と感謝していた4月のある日。
放課後デイのお迎えに支援学校に行ったとき、メールが入った。いつもメールはあとで確認するのだが、その日はなぜかその場でメールを確認した。
その人が亡くなったという知らせだった。
スクールバスや事業所の車が行きかう駐車場のど真ん中で「え~っ!!」と大声を出して立ちすくんでしまった。
つい1か月ほど前に、いつもと変わらない調子で電話があったばかりなのに。そのあとも直接話はしなかったけど、研修で姿をお見かけしていたのに。
初めてお会いしたのはからふるができる前。まだ法人すら立ち上げていなかった時だった。
お世話になっていたPTの先生から、「重症児デイを開所するなら会っておいた方がいい」と勧められ、コンタクトをとっていただき、会いに行った。重症児デイを始めるにあたって必要な知識などを本当に丁寧に教えていただいた。
以来ずっと気にかけていただき、からふるが経営困難になったときも
「何が何でも持たせるんだよ! 今まで潰れた重症児デイなんてないんだよ!」
と電話の向こうで発破を掛けられた。困ったときはいつも頼りにしていた。
最後の電話から1年。あの日ご縁をつないでいただいた学生さんは今もからふるでアルバイトを続けてくれている。
今年も春休みが始まった。毎年春休みの初日は最後の電話のことを思い出すのかもしれない。
もう直接言うことはできなくなってしまったが、本当にありがとうございました。これからも頑張ります。
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